日乃江城跡 原城攻めの際多くの諸大名が陣をしいた。
12万人で固めたという。
天草の仕置き 寛永15年松平信綱は人売買停止を定めた。
年貢のかたに男女をとることが禁止になった。
しかし松倉の苛政によって天草・島原にはからゆきさんに
つながっていく下地がすでにできあがっていたようだ。
欧州使節団は日本人の奴隷を欧州で目撃していた。
戦国時代、東南アジアのフィリピンなどには落ち延びた日本人が
3千人ほどすでに住み着いており、秀吉の『からいり』により、
集団移動させられたという記録や1607年マニラ在住の日本人がスペイン政府の厳しい統治に対し反政府デモをおこしたなどとある。
中国、朝鮮との交易は松浦党がプロモーターのように働き、平戸、福江、薩摩など九州西海岸の水軍となっていたようである。
明治天皇の祖先ともいわれる松浦党。
構成メンバーは中国人が多かったが、悪さをする偽ものもいた。
松浦氏にも本流、支流、亜流があったのかもしれず、
生き延びるのに善も悪もなかったのかもしれない。
体制に従順というより日和見的、よく言えば臨機応変で
商い上手だったらしい。